大明気功院の青島大明先生は「墓地には霊(悪い気)が多いので行かない方がいい」ということを著書に書かれています。
「霊?オカルトかよ!?」と思っちゃいますよね。
”霊”というとオカルトっぽく感じてしまうかもしれませんすが、青島先生が仰る”霊”というのは「悪い情報が乗っている気」のことです。
そう考えると少し考える余地が生まれます。
例えば、気功師が「ムカムカする気分」の情報を気に乗せて、患者に送れば、患者はムカムカした気分になります(原理的にはですよ)。この気は悪い情報の乗った気なので青島先生の表現だと”霊”と呼ぶことになります。
気功師じゃなくても人は無意識に気を放射しているかもしれません。
お墓に来る人の中には、故人を病気で亡くした人が多いかもしれません。その人はそのことを悔やみ病気のことを考えているかもしれません。その人の気(病気の情報が乗っている気)があなたに移った場合、病気になるかもしれません。これが、青島大明先生が言っている墓地には行かない方が良い理由です。
ただ、これって墓地に限らないですよね。どこにだって、「健康を害したり、死者を思う思考をしている人」はいます。
墓地でも、故人が生きていた頃の楽しい思い出を思い浮かべてる人もたくさんいるかもしれません。
こう考えると、「墓地には行かないほうがいい」という理由の別の側面が見えてきます。
元々は信者を囲い込むための論理なのかも
気功は健康法の側面もありますが、道教をベースにした宗教とも考えられます。
となると、「墓地に行かないほうがいい」→「仏教寺に行くな」という信者の囲い込みの論理にも見えます。
科学的観点で考えてみると
気(霊)が他人に移るとかっているとオカルト的ですが、認知科学的観点でも、同じ空間にいる人同士はホメオスタシス同調をすると言われています。
例えば、同じ家で暮らしてる姉妹の生理周期が一致するなどと言われています。つまり、なんらかの生体情報の交換がされ、内部表現が同調していると言うことです。気が生体情報だと考えれば、納得がいきます。
とはいえ、職業別平均寿命で宗教家は上位にランクしています。お墓で暮らしている僧侶が多いはずの宗教家の寿命が長いということは、やはり元々は信者の囲い込みの論理から生まれたものが伝統として残ったと考えるのが妥当に思われますね。